バブル真っただ中での1981年~2002年まで放送された不朽の名作“北の国から”。
物が溢れかえった都会を離れ、2人の子供と一緒に北海道富良野での生活を楽しむ五郎さんの心がこもったセリフや五郎と接する周りの人物の名言をまとめました。
北の国からを見た事がない世代にも伝わる”倉本聰ワールド”はいつの時代にもマッチします。
多くの人々の涙を誘った『北の国から』名言集をお楽しみください。
北の国から 名言集①「北の国から 2002‘遺言」
亡くなった草太から引き継いだ牧場経営が上手くいかず倒産してしまった責任から富良野を離れた純と、女で1つで息子の快を育てている蛍に遺したかったもの、それは価値観でした。
幼少期に東京から山奥の富良野に移り住み“自然と共に慎ましく生きてほしい”そして、そこから幸せを見出してほしい…と願っていました。
物の多さ=豊かさではない事を五郎は伝えたかったのです。子供が巣立つ前にまでに、富良野での生活を体験させたいと考えていた五郎が体現したメッセージが遺言という形で具体的に言葉に記されました。
純は父親と近い生き方をしようとし、蛍は父親に抗わなくなり、富良野という土地で培われた生き方を2人は受け継ごうとしていました。
北の国から 名言集②
丸太小屋の火事は自分のせいだと泣きながら告白する純の名シーンでの五郎の発言でした。
北の国から 名言集③
妻の反対を押し切って、寒い北国に純と蛍を連れて帰り、いつもはテレビゲームをしていた純が、家に電気が通ってない事に気付き、夜はどうするの?の返答でした。
北の国から 名言集④
妻子ある男性と駆け落ちした蛍に対し、五郎が叫んだ言葉です。
北の国から 名言集⑤
真顔で大人の会話をしている純が、母親が不倫相手と再婚しようとする話を聞いて呟いた言葉
北の国から 名言集⑥
五郎と純の心が初めて共鳴した場面です
北の国から 名言集⑦
タマコが純の間に子供が出来、中絶した事を知った叔父の言葉
まとめ
言葉の奥に、それを語る当人の見えざる過去があり、進行形の現在が感じられる脚本家“倉本聰”の言葉は、いつの時代に見ても現実を生きる私たちの心を揺さぶってくれます。
無駄で溢れた都会では、すべてが金で買え、己のなすべき事まで他人に金を払い依頼する、そんな生活をとは正反対な富良野の生活は不便なはずなのに…
ドラマが始まった当初は、バブル真っ最中で、先進国なのに幸福度が低い日本人の心に響く名言の数々だと感じました。
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※この記事のトップ画像は、FODから引用させていただきました。